TOP MESSAGE
クニミネ工業株式会社は、2023年6月に創立80周年を迎えることができました。これもひとえに、お取引先様、株主様をはじめとした多くのステークホルダーの皆様のおかげであり、この場をお借りして厚く御礼を申し上げます。
当社グループは「経世済民」の企業理念のもと、80年という長い年月にわたり、地下資源であるベントナイトを軸に様々な分野において事業展開し、業界のリーディングカンパニーに成長してまいりました。
現在は次の世代に向け、主に産学官連携により様々な新規用途開発に注力しております。
ベントナイトの価値を高め、より高付加価値の用途展開を加速させることにより、持続的に企業価値を向上させ社会的課題の解決および持続可能な社会の実現に貢献していくことを目指してまいります。
皆様におかれましては、今後とも一層のご支援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
HISTORY
國峯鉱業からはじまるクニミネ工業の80年の歴史をご紹介します。
1st QUARTER
1943年 - 1971年
國峯鉱業株式会社として創業
國峯宏保が資本金18万円をもって東京都日本橋区江戸川橋(現:中央区日本橋)にて設立。当初は溶鉱炉などに使われる珪藻土や滑石(タルク)等の白物鉱物による事業を行う。
空襲罹災により、本社を東京都京橋区新川(現:中央区新川)に移転
國峯礦化工業株式会社に商号変更
西那須野町(現:那須塩原市)に那須工場を開設し、珪藻土や滑石の粉砕販売を行う。
月布川鉱業株式会社を吸収合併し、ベントナイト事業をスタート
(左沢工場、月布鉱業所を取得)
ベントナイト原鉱石を採掘、同製品製造を開始する。後に、主力製品の一つである「クニゲルV1」を開発し、石油掘削にはなくてはならないものとして市場を独占する。
茨城県常陸太田市に太田工場を開設
滑石の製造、販売を開始。主に製紙の表面コーティング剤の用途向けに販売。
本社を東京都中央区新川7番地より同10番地に移転
左沢工場で農薬の製造加工を開始
アグリ事業をスタート
ベントナイトの持つ優れた吸着性、造粒性、徐放性に着目し、新規事業として農薬の製造加工を開始。
宮城県刈田郡に蔵王工場を開設
カルシウム型ベントナイト「クニボンド」の製造販売を開始。
宮城県に川崎鉱業株式会社を設立
後に、鋳物用ベントナイト製品開発の足掛かりとなる。
太田工場で農薬の製造加工を開始
蔵王工場で鋳物用として活性化ベントナイト
「ネオクニボンド」の製造開始
鋳物砂として強度の発現性と使用後の鋳型の崩壊に優れた製品として開発。
2nd QUARTER
1973年 - 1994年
クニピアの開発に成功。化成品事業をスタート
左沢工場内に粘土鉱物の研究開発のため研究室を設置。月布鉱業所の原鉱石を利用した精製ベントナイト(クニピア)の開発に成功。
大阪市東区に大阪営業所を設置
名古屋市中村区に名古屋営業所を設置
クニミネ工業株式会社に商号変更
栃木県黒磯市(現:那須塩原市)に研究所を完成
研究開発の更なる充実を図るため、左沢工場内の研究室を移転して業界唯一の研究所を設立。
本社を現在地(東京都千代田区岩本町)に移転
福島県いわき市常磐鹿島工業団地内にいわき事業所を開設
クニピアの出荷増に伴い、黒磯研究所の先端研究分野を同事業所内に移転。
国内ベントナイト市場で販売シェアトップとなり、現在に至る
福島県いわき市小名浜臨海工業団地内に小名浜工場を開設
農薬の製造加工の高い技術力を背景に、多品種少量生産の需要の増加が見込まれたことから、アグリ事業の新たな生産拠点を開設。
自社ペット用トイレ砂製品
「クニサンド」を発売
他社製品を凌ぐ自社製品の開発に成功。ペットブームに乗り、拡大している市場へ本格的に参入。
日本証券業協会に株式を店頭登録
愛知県宝飯郡(現:豊川市)に御津工場を開設
鋳物産業の集積地に近い愛知県でベントナイトの製造を開始。中部地方以西のユーザーに対するベントナイト製造拠点を確立。
米国テキサス州にTRANS WORLD PROSPECT CORPORATIONを設立
ワイオミング産の高品質なベントナイト原鉱石の安定確保のため設立。
鉱山部門である月布鉱業所を独立させて クニマイン株式会社を設立
3rd QUARTER
2008年 - 2023年
関東ベントナイト鉱業株式会社及び関ベン鉱業株式会社の株式を100%取得し、子会社化
ベントナイト原鉱石の長期的な安定確保を図るとともに、当社ベントナイト製品の供給体制の整備と営業基盤の強化のため子会社化。
BASFジャパン株式会社より郡山工場を取得
アグリ事業の更なる事業の拡大を見込んで工場を取得。
東南アジアへの進出
タイにKUNIMINE(THAILAND)CO.,LTD.を設立。鋳物分野において需要の見込まれる東南アジア地域での事業拡大を図る。
東京証券取引所市場第二部へ上場
関東ベントナイト鉱業株式会社を
「クニミネマーケティング株式会社」に商号変更
クニミネ工業株式会社との事業譲渡によりペット関連事業を中心とする販売会社へ移行。
東京証券取引所市場第一部へ上場
東京証券取引所スタンダード市場に移行
新規事業展開を一層推進することを目的として新体制をスタート
INTERVIEW
会長 : 昭和44年に入社して、昭和45年の4月からおよそ1年弱だったと思います。月布鉱山の鉱夫たちと一緒に穴の中を潜って、一緒に掘っていたんですよ。
鉱山から上がってきて一休みっていう時、駅でよく売っている夏みかんのネットの中にベントナイトの原鉱石を入れて、それでみんな手を洗っていました。ベントナイトというのは、簡単に水で洗ってもヌルヌルでとれる、いい石鹸なんですよ。それできれいに洗うと、手がピカピカになりました。
当時、昭和40年代から多分50年代ぐらいまで、そんなことで鉱夫が手を洗っていたんだと思いますね。
社長 : 私は2003年に入社して、経理畑で長くやらせて頂きましたが、若手だった当時の自分にも多くの業務を任せてもらい、また複数のプロジェクトに携わることができる環境でした。その環境というのは現在も残っていて、意欲があればどんどんチャレンジできるというのが当社の魅力だと思っています。
当時、その中でもJASDAQから東証二部、それから東証一部上場へのプロジェクトに携わることができたのは、私の管理部門での経験において、かなり大きな財産になったと思います。
最終的に、東証一部に昇格できた時には、國峯会長(当時社長)の喜ばれている笑顔のお姿に非常に感動しましたし、私が管理部門をやっていてよかったなと思えた瞬間でした。
社長 : 私が就任したのは2021年6月ですので、コロナ渦から1年位経過して、まさに真っ最中という時でした。その時に國峯会長から、「今が底だから、あとは上がるだけだぞ。最初にそういった厳しい環境でやるっていうのは非常に財産になるから、そういう気持ちは大事にしなさい。」と言葉をかけて頂きました。
事業環境的には、かなり厳しいところは正直あったのですが、それは80年やられてきた会社の歴史を思えばわずか80分の2の時間です。会社経営の長い過程の中ではもっと厳しい環境も乗り越えてきたと思っていますので、このぐらいでは負けないぞという気合と思いでやっています。
会長 : 偉そうに聞こえるかもしれませんが、「かわいい子には旅をさせよ」とか、時に「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」とよく言われますね。
私の本質としては、なるべく口を出さないようにする。自力で登って這い上がってくるとか、今後、進んでいくうえでそういうものの実践をしてほしいと思っています。いろいろな想定外の困難にぶつかりましたが、みんなよくやってくれていると思いますよ。
社長 : 一番は従業員をはじめとした「人」だと思っていますね。國峯会長は長年にわたり、従業員に対して、主に事業経営に通じる人間学や会計について教育されてこられましたので、そこを我々がしっかりと受け継いでいくというのは、一番大事にしたいと思っています。
創業の想いが受け継がれている社是・社訓
会長 : あそこにうちの親父が書いた社是・社訓っていうのが掛かっています。僕はもう全くこの通りだと思っていますからね。要するにね、「國の繁栄に貢献する精神と、峯のごとく不動の信念を持とう」とこう書いてあって、「とにかく不屈の気迫を持って、はつらつとして前進しよう」とこう書いてあるんですね。
私はこういう会社でないとダメだと。こういうことが基本にないとね、イノベーションの風土なんかできやしませんから。まず「和を以て貴しと為す」じゃないですけど、その和が入っている 。これほど練られた文章というのはなかなか無いと思っています。
目的は、世の中にないものを作り続けられる会社にすること、自らイノベーションの風土を作っていくこと。それに尽きるだろうと思うね。
社長 : ベントナイトは貴重な資源ですので、現在よりもっと付加価値を高め、様々な用途を通じて社会の発展に貢献して、企業価値を高めていきたいです。それによって従業員全員が今より更に誇りを持つことができる会社にしたいですね。
会社というのは社長の器以上に大きくはならないと思っているので、考え方も行動も人格的にも全て含めて、やはり自分自身がものすごく器を大きくしないと、自分が思っている以上の会社にはならないと思います。そのため、自分自身チャレンジを続けていきたいと思っています。
会長 : 全くその通りでね。どこまで僕ができたのかっていうのは分からないけれども、常に自分を磨き続けるっていう精神は、全従業員に持ってもらいたいものだなと。
社長、そこを一つ頼みます。